AMAterrace通信 【第1回】IPOの鍵は「労務管理」にあり!労務のプロが語る、企業が取り組むべきこと
【この記事のポイント】
IPOに向けた労務管理の3つの要点
IPO(新規株式公開)を実現し、企業がさらに成長していくためには、法令遵守を超えるレベルでの労務管理体制の構築が不可欠です。特に重要なポイントは以下の3点です。
- 【最重要課題】厳格な労働時間管理の徹底 IPO審査では、1分単位での労働時間管理と、PCのログなど客観的な記録とのズレ(乖離)がないかの確認が求められることがあります。このズレはサービス残業の可能性そのものであり、多額の未払い賃金が発生するリスクを抱えることになります。
- 【審査中断リスク】「タレコミ」の起きない社内管理体制整備 従業員からの内部告発や、退職した元従業員からのタレコミは、IPOの延期や、審査中断の大きな要因となります。将来のトラブルを防ぐためにも、普段から未払い賃金やハラスメントなどが起きにくい、健全な社内管理体制を整えておくことが大切です。
- 【具体的なアクション】早期の専門家活用 理想的なスケジュールとしてはIPO申請の2〜3期前の段階で、労務の専門家による調査(労務デューデリジェンス)を実施することです。課題を早期に発見し、丁寧に改善していくことが、IPOへの着実な最短ルートとなります。
これらの労務管理体制の整備は、IPOのためだけではなく、従業員が安心して能力を発揮できる環境を整え、企業の持続的な成長を支える経営基盤そのものを強化することに繋がります。
【本編】
企業の成長戦略において、IPOは重要な選択肢の一つです。しかし、その道のりは決して平坦ではなく、「労務」の領域では多くの企業が課題に直面します。
今回は、企業の健全な成長を支援するプラットフォーム「AMAterrace」がお届けする新企画「業界最前線」の記念すべき第1回として、労務コンプライアンス協会の岡田さま、高橋さまにお話を伺いました。
IPOを目指す企業が直面する労務課題から、審査の成否を分ける「タレコミ」対策、そして最近のトレンドである「人的資本経営」について、専門家の視点から分かりやすく解説していただきます。
労務コンプライアンス協会とは?
インタビュアー: 本日はよろしくお願いいたします。まず、労務コンプライアンス協会さまの活動について教えていただけますか?
岡田さま: はい。私たち労務コンプライアンス協会は、社会保険労務士(社労士)や弁護士が所属する参加型のプラットフォームです。2025年10月現在、全国で50の法人・事務所にご参加いただいています。
労務のプロが「経営の目線」で企業をサポートすることを掲げており、主な活動分野は、IPOやM&Aなどの労務コンプライアンスを中心に取り扱っています。最近では、トレンドとなっている「人的資本経営」や「海外人材の活用」「人権デューディリジェンス(DD)」といったテーマも扱っています。
専門家それぞれの得意分野を活かし、現場で得た知見や情報を共有することで、業界全体のレベルアップを目指しています。
インタビュアー: 最近はどのような取り組みをされているのでしょうか?
岡田さま: 最近特に力を入れているのがIPO支援です。グロース市場の上場維持基準の変更なども話題になっており、関心が高まっています。
そこで、直近は証券会社や取引所の方を講師としてお招きし、「IPO審査の現場では、企業の労務管理のどの点に注目しているのか」といったテーマで勉強会を開催しました。会員の先生方からも事前に質問を集め、時流に乗った実際の現場に役立つ情報を共有する貴重な機会となっています。
IPOにおける最大の壁「労働時間管理」
インタビュアー: IPOを目指す上で、多くの企業が直面する労務上の課題とは何でしょうか?
高橋さま: 率直に申し上げますと、IPOを目指す企業の多くは、事業成長を優先するあまり、労務コンプライアンスの重要性を後回しにしがち、労働時間を厳格に管理するよりも、組織や業容拡大に注力されているケースを多く見受けます。しかし、IPO準備段階で行う労務デューディリジェンスで最も問題になりやすいのが「労働時間の管理」なのです。
労働基準監督署の調査では、「法令が守られているか」が主な焦点となります。しかし、IPO審査ではそれよりも高いレベル、つまり法令遵守に加えて、「運用が適切になされているか」まで厳しく見られる傾向にあります。近年重要視されているのが、労働時間の「乖離(かいり)確認」を徹底しているかという点です。
インタビュアー: 「乖離確認」とは、どのようなものでしょうか?
高橋さま: はい。これは、勤怠の打刻時間と、実際に業務を行っていた時間にズレ(乖離)がないかを確認する作業のことです。具体的には、以下のような記録と打刻時間を見比べます。
- PCのログ(起動・シャットダウン時間)
- オフィスの入退室ログ
例えば、「出勤打刻をした時間よりもずっと前にPCが起動している」「退勤打刻をした後も、長時間オフィスに残っている」といったケースが乖離にあたります。
Step 3: 「見えない残業」がもたらす経営リスク
インタビュアー: 乖離が確認されると、どのような問題が発生するのですか?
高橋さま: 最も懸念されるのが「未払い賃金」のリスクです。 乖離時間について「仕事はしていなかった」と証明できれば問題ないのですが、もしもその乖離時間が労働時間と見なされうる場合は、過去の未払い賃金の清算を行うケースもあります。
インタビュアー: 特にインパクトが大きくなる業種などはありますか?
高橋さま: 私が経験した中では、多店舗展開している小売業従業員が1,000人を超えているお客さまでしたが、、一人あたりの未払い額は小さくても、総額では億単位にのぼったケースが実際にありました。
IPO審査を止める「タレコミ」とその対策
インタビュアー: 未払い賃金などの問題は、従業員からの「タレコミ」で発覚するケースも多いと聞きます。
高橋さま: まさにその通りです。IPO審査の時期になると、証券取引所に情報受付窓口が設置されます。ここに退職した元従業員などから「パワーハラスメントがあった」「サービス残業が横行していた」「不正会計に関与させられた」といったタレコミが寄せられることがあります。
インタビュアー: タレコミがあると、審査はどうなるのでしょうか?
高橋さま: 審査が実質的にストップするケースもあります。主幹事証券会社から「タレコミの内容について実態調査を」するように指示され、さらに「未然防止策」の構築を求められます。
インタビュアー: IPO審査時期に、それはインパクトが大きそうですね…。対策としては何が考えられますか?
高橋さま: 結論から言うと「早めにリスクの芽を摘む」しかありません。ハラスメントや休職、解雇、懲戒等、トラブルの原因となりそうな事項には細心の注意を払います。
インタビュアー: なぜ休職や解雇、懲戒等が問題となるのでしょうか?
高橋さま: 単純に休職や解雇等について、いわゆる「もめやすい」事項であるからといえます。会社に遺恨を持ったまま退職するため、タレコミにつながるリスクが非常に高いのです。
インタビュアー: 遺恨を残さないためには、どうすれば良いのでしょうか。
高橋さま:まずは会社として、ハラスメント防止措置などの法律で定められた義務を確実に実施していただくことが第一歩です。さらに、そうした問題が起きにくい健全な社内管理体制を普段から整えておくことが、将来のトラブルを防ぐための根本的な解決策となります。会社としてこれらの問題を単発的な労務問題ではなく「健全な成長のための経営手段のひとつ」として認識し積極的に取り組むことが将来の大きなリスクを防ぐことにつながります。
企業が今すぐ始めるべきこと
インタビュアー: 最後に、IPOを目指す企業へ、改めてアドバイスをお願いします。
高橋さま: 繰り返しになりますが、労働時間管理が最もクリティカルな問題となることが多いです。できるだけ早い段階、理想を言えばN-3(申請期の3期前)やN-2(申請期の2期前)には専門家による「労務DD」を実施しましょう。早期に課題を発見し、改善に着手することで、余裕を持ってIPOに臨むことができます。
インタビュアー: 最近よく聞く「人的資本経営」についても、まず何から始めればよいでしょうか?
岡田さま: 「人的資本経営」と聞くと難しく感じるかもしれませんが、その第一歩は「当たり前のことを当たり前にやる」ことです。法令を遵守した労務管理の土台を整えることこそが、人を大切にする経営の出発点です。
労働時間管理や安全衛生管理といった基本的なルールを徹底し、マイナスをゼロにする。その上で、従業員がさらに輝けるようなプラスの施策を実行していきましょう。
インタビュアー: 労務リスクの芽を早期に摘み、当たり前のレベルを上げることが、IPO成功と人的資本経営の両方につながるのですね。本日は大変貴重なお話をありがとうございました。